小学生時代のアスペルガーは結構辛い

アスペルガー症候群の子供(小学生)が思う学校生活の苦しさ

アスペルガー症候群だと知らずに過ごした小学校時代。

 

私は大学までエスカレーター式で上がれる私立の小学校に通っていたのですが、有名な「100人でおにぎりを食べたい」と言う歌のようにはいかず、友達と呼べる友達が出来たためしがありません。

 

小学生時代のアスペルガー 

 

幸いな事は私立だったため近場で遊ぶ友達がいなかった事。

 

もし公立に通っていたなら、家に帰っても遊ぶ友達がいない事に悩んだ事でしょう。しかし我が家の最寄り駅に住んでいる人は0。そのため誰とも遊ばない事が当たり前の小学生生活でした。

アスペ1年生〜2年生頃の記憶は一人で遊んでいた事くらいしかない

もう40年ほど前の話になるので覚えてなくてもおかしくはないのですが(汗)。

 

休み時間に友達と遊んだ記憶がありません。お昼ご飯を食べた後も一人でグラウンドに出て大好きな逆上がりをしたりウンテイをしたりと、一人で楽しく遊んでいました。

 

しょっちゅう手にマメを作り、作っては壊れを繰り返すほど鉄棒とウンテイが大好きだった私。

 

皆でボール遊びをするのも鬼ごっこをするのも苦手でした。何が苦手かって、合わせる事が苦手だったんですよね〜。

 

一人で出来る事が好き

 

大好きな鉄棒やウンテイは自分の力とが頑張りで出来るので、誰に合わせる必要もなく自分のペースで出来る。そんな遊びを学校でしていました。

 

一人でいる事が淋しいと思う事もなかったからか、積極的に友達を作らなかったのも理由かもしれません。

 

7歳から8歳まではクラスでも殆ど話す事なく時間だけが過ぎていったようです。あまり先生に怒られる事もなかったので扱いやすい大人しい子供だったのでしょう。

 

そう言えば良く保健室には行ってました。もしかすると子供なりに考えた逃げ場だったのかもしれません。が、もう少し問題児的な行動が見えていれば障害に気付いてもらえたかもしれません。

 

また、今の時代なら気付く可能性もあったかもしれませんが、その時代ではまだまだ周知されていなかったんです。

アスペ3年生〜4年生頃もやっぱり一人で学校生活を過ごしていました

3年生から4年生は特に記憶が残っていない時期。

 

1年生・2年生はクラスも先生も変わらなかったのですが3年生・4年生はそれぞれクラスも先生も変わりました。

 

記憶が残っていないのはこの障害特有の新しい環境に慣れないのが原因かもしれません。1年ではクラスが変わった事を受け入れられず気付けば次の年になっていたのかも(汗)

 

この2年間は今から思い出すと先生からの呼び出しが増えた時期でした。それは同じクラスの大嫌いな女の子に意地悪をしたくて小さなカエルの置物をその子から盗んだのです。

 

意地悪をしたいと思うくらいに何かがあったのだと思いますがそれは覚えていません。しかしカエルを盗んだ事は覚えているんです。

 

学校の先生に助けられる事もある

 

実はこの学校、私の母や叔母も通っていた学校なんです。そして母はかなり成績が優秀でした。そんな母の先生だった人がこの事件の時の担任の先生だったのですが、もの凄くおばあちゃん先生でした。

 

母を知る先生、そしてご年配の女性の先生と言う事もあり、私が盗んだ事は学校には伝えず大事にはならなかったのです。

 

しかしこの先生は私を理解している"つもり"になっていました。

 

呼び出され

 

「あなたは○○ちゃんのカエルが欲しかったのよね」

 

と言われた時には「○○ちゃんに意地悪をしたかったから」と反論出来ず、結局全てがウヤムヤに。

 

その後先生から頂いた手紙には「あなたから貰ったカエルを大切にしてます」と、先生の頭の中のストーリーまで変わってました(笑)

 

この記憶は3年生の記憶ですが、それ以上は思い出せる事がありません。つまり、私なりのいつも通りの生活を過ごしていたのでしょう。

アスペ5年生〜6年生頃は嫌われていた記憶が沢山残っています

5年生〜6年生は共に同じクラスで同じ担任。

 

この時期の記憶は幾つか有り、一つは水泳を頑張ったという事。私は水が大好きで泳ぐ事が大好きでした。水泳教室にも通い、夏には対学校の水泳大会に出るのを目標にしていました。

 

夏休みは毎日学校に通い水泳、クタクタになって帰っても翌日は喜んで学校に通い水泳。そして大会で良い成績を残す。

 

これがこの時代の一番の楽しみでした。今では実際に泳ぐ機会はありませんが水の中にもぐる事や泳ぐ事は好き♪やはり単独で行動出来る事が好きなんでしょうね(汗)。

 

初めて友達が出来た記憶

 

このころになり初めて友達がいた記憶が出てきます。1度程度お互いの家に行き来するのですが、それからは疎遠になってしまうので続いても数ヶ月程度。そんな友達が3人いました。

 

しかし6年生の修学旅行の時には友達がおらず一人で行動していたので、例え友達と呼べる人がいたとしても5年生から6年生前半までだったようです。

 

小学生の頃の記憶は本当にこの程度しか残っていないのですが、やはり友達と楽しむ時間が少なかったからなのかもしれません。友達が沢山いる事がなかった私にとって学校はある意味苦痛を感じた場所。

 

なのに嫌だった事すらあまり覚えていないという事は、一人でいる事も嫌いではなかったからなのでしょう。既にここら辺で他人との付き合い方は出来上がっていたみたいなので、年齢が低い間に障害の訓練が必要だと言われる意味が分かるような気がします。

 

今ならアスペルガー症候群の認知度も上がっているので、変かも?と思うなら一度検査をしてみると良いですよね。私のように孤立が当たり前にならない内に・・・

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